sys研20060424
"Connectionism and the problem of systematicity: Why Smolensky's solution doesn't work." Fodor,J. and McLaughlin,B.P. Cognition 35 (1990) pp.183-204. 「resume20060424-Fodor1990.pdf」をダウンロード
Smolenskyのコネクショニストモデル(ベクトル表象)による体系性の実装に対して批判する。Smolenskyは、文脈依存的なモデルと、非文脈依存的なモデルを提案するが、いずれにせよ失敗する。結局、体系性の必然性を説明できるのは古典的計算主義である。
①文脈依存的なモデルは合成性を放棄する。そのとき、次のような問題が生じる。
・さまざまな表象からベクトル計算によって得られる要素ベクトルは互いに家族的類似性を持つだけでよいとされるが、そのような要素ベクトルは古典的要素にならず、それゆえ体系性を保証しない。
・文脈依存的なモデルは合成性を放棄するが、それではカップの表象とコーヒーの入っていないカップの表象を区別できない。etc
②非文脈依存的なモデルはテンソル積を導入する。そのとき、次のような問題が生じる。
・複合シンボルベクトルがトークン化されるとき、要素ベクトルがトークン化されない。そのようなベクトルは古典的要素にならず、それゆえ体系性を保証しない。
・「要素を表象できる」ことは「要素をもつ」ことと同一ではない。etc
【論評】
コネクショニストモデルで体系性を(近似的にでも)実装することの可能性は(困難ではあろうが)Fodorも認める。しかしFodorは、そのような「可能性」ではなく「必然性」(法則性)を示さなくてはならず、それはコネクショニズムではできないと言う。
コネクショニズムと古典的計算主義は、そもそも説明関心が異なっているのではないだろうか。両者は競合するようなものなのだろうか。
勉強になりましたね、フジカワさん。
KO