2006年11月 1日 (水)

レジュメ

「griffiths_in_press.doc」をダウンロード

おそくなりまして

明日のレジュメです

TNK

| | コメント (0)

2006年4月 7日 (金)

Stuart Kauffman

OTKです。カオス科研報告書に載っける論文ができましたので、あげておきます。スチュアート・カウフマンの方法論のまとめと、彼の生物学的「法則」の主張を検討してみました。以前勉強会で取り上げて、後半やり残していたやつです。興味がある方は読んでコメントくださればありがたい。

「kauffman.pdf」をダウンロード

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年3月19日 (日)

Simulations, realizations, and theories of life

by H.H. Patte

シミュレーションと実現の概念的な区別を明確にする。シミュレーションはそれを支える理論が必要不可欠であり、理論の善し悪しがシミュレーションの善し悪しを決める。ある現象をシミュレートできるという事実は、シミュレーションとその対象についての差異を取り払うものではない。確かにコンピュータのシミュレーションは記号的なものであり、それによって表されるマテリアル自体とは区別されなければならない。その間を介在するのは測度論であり、したがって生物学的なシミュレーション理論の構築には測度論が必要不可欠である。

コメント:強いAL批判としては常識的な線を主張しているという感じだが、立論自体が明確で説得力がある。Soberのよりポイントは明確かも。ただし後半の測度論が援用されるあたり、とばし読みで今ひとつ理解できていない。だれかわかりやすく教えてくれないかしら。

OTK

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年3月18日 (土)

A-Life関係読後感

今日読んだペーパー達とコメント:

Complexity, Self-Organization, Robert Richardson ,Biology and Philosophy 16: pp.655-683, (2001)

KauffmanのOrigin of Orderの紹介・それが何を説明しているのか・その説明はどの程度妥当かについての批判的考察。Kauffmanの方法は、生物学的現象への統計的アプローチである。よってそれは個別的な事象を対象としていない。あと、「選択はカオスの縁に生物を保つ」というテーゼへの懐疑的意見など。

Universal Biology,  Kim Sterelny ,British Journal of Philosophy of Science, 48: pp.587-601, (1997)

LangtonのArtificial Life, BodenのThe philosophy of artificial lifeのレビュー+批判。サンプル数の少なさ(N=1問題)をコンピュータモデルで補う強いA-LIFE戦略は心の機能主義と類比的であり、失敗する。一方カウフマンのモデルに対しては、現在の生物学的現実と一致しないという批判的意見。

「普遍生物学」であるために人工生命研究は何をせねばならないか,  戸田山和久 , 科学哲学 33-2: pp.57-71, (2000)

SoberのA-lifeにおける強いAL批判を批判的に踏まえながら、N=1問題に対して強いALを擁護する必要性自体を批判する。Soberは強いALと強いAIを類比的に捉えすぎている(両者の間にはギャップがある)。しかしそもそも、N=1問題は疑似問題にすぎず、人工生命は他のアプローチがあるはずである。したがって強いAL自体を擁護する必要がない。

Leaning from functionalism - Prospects for strong artificial life,  Elliott Sober , in The philosophy of Artificial Life (Boden ed.)

強いAI/ALの間の共通点を機能主義にみる。その問題は、1)抽象をどこまで許すか、2)行動主義的なテスト(e.g.チューリングテスト)はAI/ALが知能/生命の検証方法たりえないことである。生物学的プロセス自体は計算ではなく、シミュレーションは対象自体ではない。したがってそれが生きているかどうか、という問いにはそもそも意味がない、という強いAL批判

というわけでAL論争をざっと見たわけだが、今ひとつその納得できない。まずそもそもLangton自身が実際に強いAL(=生物をシミュレートするコンピュータモデルは生きている)を主張しているかどうかに疑問の余地がある(c.f. Artificial Life, Langdon 1996)。戸田山の論文はそこをついているのかもしれないが、しかしその場合なおそれを「強い」ALという必要性はあるのだろうか。

それより思うのは、Sterelny、戸田山ともにN=1問題の解決は強いALを要請すると考えているようだが、それはそれほど自明なことだろうか。別にシミュレーションモデル自体が「生命」であるといわずとも、その結果から生命現象への統計的なデータを得ることは可能なように思われる(例えばコンピュータ上の水爆実験は実際に爆発ではないが、水爆爆発についての実質的データを与えると考えられている)。例えばKauffmanの一般生物学的法則はこうした事例ではないだろうか?

OTK

| | コメント (0) | トラックバック (0)